「催情記」☆咄数の事付重て御はなし有べきと思召方へ状の事

☆咄数の事付重て御はなし有べきと思召方へ状の事

 

一度はぜひにをよはず(是非に及ばず)はなす事もあるべし

そのうへはいよいよのこりおほかるものなり

いま一度は此方より御はなし候てよく候

さ候はばそのまま御状かき御やりなさるべく候

文躰はしなしなあるべく候 まづ大かたかくのごとく

過し夜は得尊意(そんいをえ)かたじけなく候

われらべつして(別して:ことさら)まんぞく此事に候

貴様かたじけなくおぼしめす御うれしさのほどたとへもあるまじく候

さりながら腹の立は鳥鐘にて候

思へば思へばみじかき夜にてあまり御のこりおほく御入候まま又や又やたとへくろがねのあみをはりあまの磐戸なりともうちやぶりかならず今度はなし申べく候

御のこりおほき事うらみはふじの山(富士の山)たごのうら(田子の浦)のなみほどあり

とかくあふてあふてみろくのしゆつ(弥勒の出)をまつやうに御待なさるべく候

おほかたかくのごとくに候

ただしくはこころごころに有べく候

二度まではくるしからずそのうへは御無用

三度にもなればくつろぎすぎちいん(知音)したいなどと申べく候

いやとおほせられ候もあぢわろし

まへかどよりそのふんべつかんようなり

とかくあぢよくかたじけながりかさねてえかまはぬやうになされ候がひしのうへのひし也

三度四度になればいはねばこそあれちいんほどのもの

さりながら一度にても如在なく知音ほどの事も有べし

とかく心中次第万事吟味専一也

 

これから何度も「われら」と出てくるがこれは「我々」という複数を表す意味ではなく「私」という自称の人称代名詞で単数を表します。やや卑下した気持ちを含むので覚えておいてください。